【アラベスク】メニューへ戻る 第7章【雲隠れ (後編)】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)

前のお話へ戻る 次のお話へ進む







【アラベスク】  第7章 雲隠れ (後編)



第1節 MI・TSU・RU 依存症 [8]




 美鶴の名前を出すと優輝が不機嫌になるので、里奈は口にはしないよう心掛けた。
 だが優輝にはわかっていた。
 なぜだ?
 俺がこれほど欲しても、なぜ俺のモノにはならないのか?
 美鶴に頼る自分を恥ながら、一方では異常なほど美鶴に(すが)り付く。
 矛盾している。
 弱い自分は美鶴に嫌われると思い込みながら、強くなろうとはせず、ただ美鶴にのみ執着する。それほどに里奈は弱く、情けなく、決して一人では生きていけない。
 そんなコトはわかっている。だから優輝は全力で里奈を欲した。
 なのにどうしても、大迫美鶴には勝てなかった。

 いくら望んでも、自分の手の中には何も残らない。
 どれもこれも、何一つ俺のモノにはならないのか?

「今更ながら、教えるけど」
 声音は実に穏やか。
「里奈の鞄にチョコ放り込んだの、俺だよ」
 同時に右足を思いっきり振り上げる。
 蹴り飛ばされて、美鶴の身体は宙に浮いた。背中から傍の椅子に激突し、もろとも床に崩れる。
 驚きに瞬きもできず、衝撃を受けた肺は呼吸することができない。息苦しさと痛みに目の前は真っ暗。当然、声なんて出せるワケがない。
「美鶴っ!」
 叫びながら駆け寄ろうとする行く手に、青白い肌。
「さあ、里奈」
 見下ろす顔は場にそぐわず、あまりに優しく穏やか過ぎる。逆に恐ろしくて悪寒が走る。
「昔話は終わりだよ」
 ゆっくりと伸ばされる右手。避けようと後ずさりする左腕を鷲掴みにされ、思わず呻く。
「どうあっても、お前の中ではあの女が一番」
 そっと背後を振り返る。
 ようやく咳き込む、床の上の美鶴。
「なら俺が、消してやるよ」
「え?」
「俺がこの世から、お前の中からも消してやる」
 そうしたら、もうお前は俺のモノだ。





 美鶴?

 ハッと息を呑み投げる視線の、駅舎の窓ガラスのその向こう。残暑にウダる木々の緑と、気休め程度に吹き抜ける風。公園の端を駆け回る子供。
 この暑いのに、元気なコトで。
 苦笑いしながら視線を動かす。
 今、美鶴の声が聞こえたと思ったんだけど。
 だが、ガラスの端々へ視線を動かしても、その姿は影もない。
 空耳か?
 腕時計は四時十分。
 ちょっとおかしくないか?
 首を捻る瑠駆真の姿に、聡の声が嫌味っぽい。
「半日、美鶴を独占する気じゃなかったのか?」
 舌を打つ。
 一向に姿を見せない美鶴。おかしいとは思う。
 探しに行きたい。もう家に帰っているのかも。
 鍵を開けたのが誰かなんて、そんなのは今はどうでもいい。とにかく美鶴がどこにいるのか。
 だが聡の手前、心の動揺を悟られたくない。
 コイツに嘲笑われるのが、一番腹立つ。
 だからどうしても平静を装い、立ち上がることができないでいる。
 もう少し、待ってみるか。
 聡に背を向け、空を見上げる。

 いい天気だな。

 ガラスの向こうは、空高く晴天。
 もうすぐ、秋の夕暮れが辺りを染める。







あなたが現在お読みになっているのは、第7章【雲隠れ (後編)】第1節【MI・TSU・RU 依存症】です。
前のお話へ戻る 次のお話へ進む

【アラベスク】メニューへ戻る 第7章【雲隠れ (後編)】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)